Monthly Archives: 1月 2026
No.0058_0004
その他
東のベランダから

1980(昭和55)年
古写真についての斑鳩町民の記憶
1971年に斑鳩町に転居してきた。
結婚を機に家を探していて、団地(ニュータウン)に応募したが外れてばかりだった。ちょうどその頃、勤めていた会社の系列の不動産会社が開発を進めていたのが目安地区で、優先的にしかも安価で購入することができた。
安価だけあって安普請だったが。
田畑ばかりで家がほとんどなかったので、夜中は西名阪の車の音がうるさかった。

現在の写真
2026年2月撮影
No.0058_0003
当麻道
南の田んぼ

自宅の2階から南側を望む
古写真についての斑鳩町民の記憶
家の前は田んぼが広がっていて、早朝から「すずめおどし」の鉄砲のような音で目が覚めてしまった。
南側に住宅が建ち並ぶまで(2000年頃)は、水田のおかげで、夏でも夜はとても涼しかった。
ビニールハウスでは、イチゴが栽培されていて、概ね収穫が終わると、残った小さなイチゴを摘ませてくれた。

現在の写真
2026年2月撮影
その他メモ
PLの花火が山越しに少しだけ見えた。*
(大和)川向こうの河合町がよく見えた。
*「PLの花火大会」は、富田林市で行われていた。
No.0058_0002
その他
南のベランダから

1980(昭和55)年
古写真についての斑鳩町民の記憶
南西側も田んぼが広がっていた。
赤い看板のある家は「西野のパン屋」と呼んでいた雑貨(ノート、封筒、お菓子、アイスなど)も扱う店だった。

現在の写真
2026年2月撮影
その他メモ
左側の山は二上山、右側は明神山
斑鳩南中学校もなかった。
No.0058_0006
当麻道
冬景色

昭和49(1974)年のある朝。
古写真についての斑鳩町民の記憶
家の南側は一面の田んぼだったので、銀世界が広がっていた。

現在の写真
2026年2月撮影
その他メモ
写真奥に見える河合町に竹藪があり、良い散歩コースだった。
No.0058_0005
その他
西の窓から

1980(昭和55)年
古写真についての斑鳩町民の記憶
1971年に斑鳩町に転居してきた頃は、大和路線はディーゼル車で、天王寺まで40分かかった。1973年に電化され20分に短縮された。
斑鳩町の保育所は午後4時までだったことと、子どもを預けて仕事を続けようとも思わなかったので退職した。
しかし、退職した直後に電化されたので、何だか残念な思いをしたことを今でも覚えている。

現在の写真
2026年2月撮影
No.0058_0001
その他
北の窓から

増築した2階の窓から北側を望む
古写真についての斑鳩町民の記憶
1971年に斑鳩町に転居し、子ども達の成長に伴い、1980年に子ども部屋として2階を増築した。

現在の写真
2026年2月撮影
その他メモ
バックの山々は生駒~信貴山、松尾山方面
No.0048_0032
竜田川道
瓦製作作業(5)

外側を土でしっかりと覆い、火を入れたところ。
古写真についての斑鳩町民の記憶
土をすくって窯に載せるのに適した形の専用鍬で作業。(刃が柄に対して「くの字」になるよう加工された鍬。)
瓦は焼く前に乾燥をしっかりと行わないと焼いている途中で割れるため、窯の上や周囲に並べて乾かしていた。
その他メモ
焚口と手前に燃料の「こわ」*がある。 *「こわ」奈良県の方言。木端のこと。木材の側(がわ)で廃材。(『大和方言集』 新藤正雄/著 1951年より)
・瓦に関する参考文献:『日本文化史研究』第50号 2019年発行
No.0048_0033
竜田川道
瓦作製作業(4)

アーチ状に積み上げた瓦の上に「むしろ」をかぶせ、縄で固定する作業中。
古写真についての斑鳩町民の記憶
この後の作業工程 ①瓦を覆うように「むしろ」をかぶせる。②縄でしばって固定。③むしろの上に土をのせていき窯全体を土で覆っていく。④火を入れる。⑤焼いている途中で更に土をかぶせる。
土をすくい上部に載せやすい形状の専用鍬を使って作業。(刃が柄に対して「くの字」になるよう加工された鍬。)
その他メモ
父がカメラを購入。当時、作業記録も兼ねて写真を撮っていた。
・瓦に関する参考文献:『日本文化史研究』第50号 2019年発行
No.0048_0030
竜田川道
瓦製作作業(3)

上部はアーチ状になるよう瓦を積んでいく。
古写真についての斑鳩町民の記憶
左側に見える縦長の穴は、人が窯の中に出入りするときに使う。
この出入口は、焼き上げ時に練り土で塞ぐ。
練り土は再利用するため、焼き上げ後は所定の場所で保管する。
焼く前に窯全体を土で覆うため、できるだけアーチ状になるように瓦を積んでいく。
その他メモ
瓦に関する参考文献:『日本文化史研究』第50号 2019年発行
No.0048_0031
竜田川道
瓦製作作業(2)

窯に瓦を積んでいく作業中。
古写真についての斑鳩町民の記憶
奥の部分に瓦を積んだのち、前方の半円状に空いた部分にも順に瓦を置いていく。
手前に見える焚口近くに「こわ」*が置いてある。
その他メモ
*「こわ」奈良県の方言。木端のこと。木材の側(がわ)で廃材。(『大和方言集』新藤正雄/著 1951年より)
・瓦に関する参考文献:『日本文化史研究』第50号 2019年発行
No.0048_0029
竜田川道
瓦製作作業(2)

窯の上にこれから焼く瓦を積んでいく作業。
古写真についての斑鳩町民の記憶
手押し車(写真左手前)は、瓦を窯まで運ぶ専用のもの。
熱がむらなく伝わるように、下2段は瓦を立てて並べ、上部は平置きでアーチ状に積む。
右奥に燃料となる「こわ」*が積まれている。
その他メモ
*「こわ」奈良県の方言。木端のこと。木材の側(がわ)で廃材。(『大和方言集』 新藤正雄/著 1951年より)
・瓦に関する参考文献:『日本文化史研究』第50号 2019年発行
No.0048_0034
竜田川道
瓦製作作業 (1)

瓦製作するための窯
古写真についての斑鳩町民の記憶
作業は、早朝から昼過ぎまでかかった。
手前の穴は燃料となる「こわ」*をくべるための焚口。
その他メモ
*「こわ」奈良県の方言。木端(こっぱ)。木材の側(がわ)で廃品。(『大和方言集』 新藤正雄/著 1951年より)
・瓦に関する参考文献:『日本文化史研究』第50号 2019年発行
No.0057_0012
竜田街道 - 東
お正月

斑鳩小学校のフェンスを背にして
古写真についての斑鳩町民の記憶
お正月は着物を着せてもらっていた。
祖母の普段着は着物だった。

その他メモ
交通標識
No.0057_0021
竜田川道
ビニールプール遊び

近所の子どもたちと一緒に。
古写真についての斑鳩町民の記憶
近所の小さい子のお世話をしたり、みんなで遊んだ。
その他メモ
ここは立ち退きになり、バイパス道路になった。
No.0057_0020
その他
梵天山の鉄塔

鉄塔のある広場で
その他メモ
この鉄塔の北東の足から北東へ5.2㎞、標高差2ⅿ余りの高所に三角点がある。*
『大和の三角点を尋ねて』(下巻)p.39*
No.0057_0019
その他
ピクニック

梵天山でポーズ
古写真についての斑鳩町民の記憶
幼いころから梵天山にはよく行った。
その他メモ
オーバーオールが流行っていた。色もカラフルだった。
後ろの木は赤松か。
昔は松茸も採れていた。
No.0057_0018
竜田街道 - 東
お正月

姉妹でおそろいのウールの着物
古写真についての斑鳩町民の記憶
お正月は着物を着て写真撮影していた。
祖母が仕立ててくれた。
狐のえりまき をしている。
その他メモ
No.0057_0017
竜田川道
お正月

お正月には着物を着ていた。
古写真についての斑鳩町民の記憶
当時は頭に大きな髪飾りを付けるのが定番だった。
この着物は、お宮参りの時に掛け着として使用したもの。
娘にもこの着物を着せた。
その他メモ
この家はバイパス道路となり、立ち退きになった。
2015年の住宅地図には、近隣も含めて家屋は見当たらない。
No.0057_0016
竜田川道
夏休みラジオ体操

1978(昭和53)年
古写真についての斑鳩町民の記憶
首からスタンプカードを下げて行った。参加すると6年生が桜型のスタンプを押してくれるので嬉しかった。
8月のお盆の時期は、ラジオ体操も休みだった。
大人もたくさん来ていた。
その他メモ
稲葉西の子ども会。子どもの数が多かった。
No.0057_0015
竜田街道 - 東
斑鳩幼稚園の運動会

1975(昭和50)年10月
古写真についての斑鳩町民の記憶
当時は体操服は無かった。
その他メモ
1974(昭和49)年に開園した。
回転型ジャングルジム。
当時は2年保育(年中と年長)だった。
No.0057_0014
竜田街道 - 東
三輪車に乗って

自宅の裏庭で
古写真についての斑鳩町民の記憶
大好きだった「仮面ライダー」が乗っているバイクに似た三輪車を買ってもらった。
祖父のパチンコについて行ったある日、「変身ベルト」を買ってもらった。
近所の男の子たちに、うらやましがられた。
その他メモ
ハンドルの先にカラフルな紐が付いていた。
No.0057_0013
竜田街道 - 東
お正月

自宅前で妹と。
古写真についての斑鳩町民の記憶
昭和40年代から自家用車の所有が急激に進んだ。
その他メモ
東隣には小間物屋があり、赤白帽なども売っていた。屋号は「サザンカ」。
No.0057_0011
竜田街道 - 東
中庭で

1973(昭和48)年
古写真についての斑鳩町民の記憶
妹に譲った歩行器で遊んでいる。
その他メモ
歩行器は定番だったが、最近はあまり見かけない。
No.0057_0010
その他
梵天山へピクニック 3

ひと休み。
古写真についての斑鳩町民の記憶
だいぶ登って来たのかな。
その他メモ
梵天山(ぼんてんやま)は法隆寺の裏山
尋常小学校(昭和初期)の1~4年生は「梵天山」での自然観察などを行っていた。*
*栗山倉治郎/著 『郷土教育の実際』地方教育研究会/発行 1930年
No.0057_0009
その他
梵天山へピクニック 2

梵天山への途中
古写真についての斑鳩町民の記憶
2歳年下の妹をバギーに乗せて一緒に行った。
その他メモ
この頃は山菜取りに行く人が多かったので、道も開けていた。
松茸も採れた。
梵天山(ぼんてんやま)は法隆寺の裏山
No.0057_0008
その他
梵天山までピクニック 1

ウオーナー塔の前で
古写真についての斑鳩町民の記憶
梵天山にピクニックに行く途中でひと休み。
この先に空風呂があった。
その他メモ
梵天山(ぼんてんやま)は法隆寺の裏山
No.0057_0007
竜田街道 - 東
並松通り

斑鳩小学校の北東角
古写真についての斑鳩町民の記憶
写真右側のブロック塀が斑鳩小学校の北東角。
この角を右(南)に入っていくと斑鳩幼稚園。
車はあまり走っていなかった。
その他メモ
写真奥は並松商店街
商店街にある「みたらし団子屋」は、現店主の祖父の時代に店を構えた。
地域で祝い事があると「しんこ」と呼ばれるお供え用の団子を近所の人に作ってあげていたこともきっかけとなった。(2024年9月12日 毎日新聞「食探訪」より)
No.0057_0004
竜田街道 - 東
自宅の玄関の中で

1972(昭和47)年
古写真についての斑鳩町民の記憶
土間が広く、自転車やバイクは玄関内の土間に置いてあった。
左側には物置もあった。
その他メモ
腰かけている所の段差は、家で葬儀をしたときに、つまづいて転んだ人がいたのでなだらかにした。
No.0057_0003
竜田街道 - 東
乳母車に乗って

1972(昭和47)年
古写真についての斑鳩町民の記憶
1歳になりました。
笊(ざる)をオモチャにしている。

No.0057_0002
斑鳩三塔の道
お宮参り

斑鳩神社に向かう途中
古写真についての斑鳩町民の記憶
お宮参りなど改まったお祝いの時は、色無地の着物に黒の絵羽織(えばおり)を着た。
この掛け着は、母方の祖母が柄選びをし、一緒に暮らしていた祖母が仕立ててくれた。

その他メモ
途中で抱っこする人が交代している。
No.0057_0001
































