Monthly Archives: 11月 2019

No.9000_0028

斑鳩三塔の道

岡本集落

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
岡本

No.9000_0032

竜田街道 - 東

法隆寺門前

「立入測量禁止」の立て看板

その他メモ

『ほろびゆく大和』創元社 1968(昭和43)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺南1丁目

No.9000_0030

太子学問の道

成福寺堂裏

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺南3丁目

No.9000_0029

太子学問の道

成福寺付近

「上宮跡」と村人が伝える礎石か

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺南3丁目

No.9000_0027

斑鳩三塔の道

岡本集落

蒼古な気分があふれている

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
岡本

No.9000_0024

斑鳩三塔の道

牧歌的風景がそのままに

法起寺と岡本の集落

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
大字三井辺りから

No.9000_0022

斑鳩三塔の道

法輪寺三重塔再建工事

宮大工西岡常一氏の仕事場

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

1975(昭和50)年3月 創建当初の様式にて竣工された。

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
三井 法輪寺

No.9000_0021

斑鳩三塔の道

法輪寺三重塔礎石群

写真奥の建物は類焼を免れた金堂。

古写真についての斑鳩町民の記憶

1944(昭和19)年7月21日 落雷により三重塔は焼失してしまった。

その他メモ

一重方形の基壇に四間四面の自然石の礎石と四天柱の礎石がぽつんと残されている。
『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
三井 法輪寺

No.9000_0020

斑鳩三塔の道

天満池より五重塔を望む

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
大字法隆寺 

No.9000_0017

太子学問の道

成福寺付近の空々漠々たる松並木             

法起寺へと続いていた松並木の一部

現在の写真

2016年撮影

1991(平成3)年に上宮遺跡公園が整備された。
公園入口の松並木は聖徳太子が通った道を再現して植えられた。

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

松並木は1950年代まで残っていたと語られています。[1]
[1]『斑鳩大辞典』p.193

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺南3丁目 成福寺付近

No.9000_0015

太子学問の道

成福寺

松の木に囲まれた成福寺

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺南3丁目

No.9000_0014

竜田街道 - 東

富の小川より矢田丘陵を望む

富雄川のほとりの道標

古写真についての斑鳩町民の記憶

業平橋東詰にあったが、現在は高安天満宮内にある。

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

道標
上に如意輪観音が刻まれ、右三井・松の尾、左たつた・大阪と読めます。[1]
[1]『斑鳩大事典』p.143

タグ

石造物

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
高安1丁目

No.9000_0010

竜田街道 - 西

みささき陵(藤ノ木古墳)

調査される前の様子

その他メモ

西里の迷路のような路地を抜けて、集落のつきたところにある。
当時は桃畑になっていた。
『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺西2丁目

No.9000_0009

斑鳩三塔の道

並松の参道

松のこも巻き 

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

松のこも巻きは江戸時代から大名庭園で行われてきたとされる害虫駆除法で、マツカレハの幼虫(マツケムシ)を除去する方法のひとつ。マツカレハの中齢幼虫は、冬になると、地上に降り、枯れ葉の中などで越冬する習性を持つ。このため、11月頃、マツやヒマラヤスギの幹の地上2mほどの高さに、藁でできた「こも(菰)」を巻きつける。

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺1丁目

No.9000_0008

斑鳩三塔の道

土壁の道

西里

古写真についての斑鳩町民の記憶

写真前方右は法隆寺西大門

現在の写真

2019年撮影

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺西1丁目

No.9000_0007

斑鳩三塔の道

西里

法隆寺といえば柿の木

現在の写真

2024(令和6)年2月撮影

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺西1丁目

No.9000_0006

斑鳩三塔の道

孤独の谷間

西里路地集落

古写真についての斑鳩町民の記憶

西里の集落は、大工棟梁などが住んでいた。

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺西1丁目

No.9000_0005

斑鳩三塔の道

法起寺への道から法隆寺の金堂と五重塔を見る

早春。雪の日、梅の花咲く法起寺への道から

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
三井

No.9000_0004

太子学問の道

中宮寺跡

古写真についての斑鳩町民の記憶

江戸期に掘られた溜池があったが、1984(昭和59)年頃に一部を残して埋められ更地になった。

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

2013(平成25)年から行ってきた整備工事が完成し、2018(平成30)年5月13日に史跡公園がオープンした。
北側の休憩所からは斑鳩三塔が一望できる。

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺東2丁目

No.9000_0003

斑鳩三塔の道

法起寺を行く

春の法起寺

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
岡本

No.9000_0002

太子学問の道

中宮寺跡の東側

中宮寺跡より法隆寺五重塔を望む

古写真についての斑鳩町民の記憶

江戸期に掘られた溜池があったが、1984(昭和59)年頃に一部を残して埋められ更地になった。

その他メモ

『いかるがの心』創元社 1969(昭和44)年刊より

2013(平成25)年から行ってきた整備工事が完成し、2018(平成30)年5月13日に史跡公園がオープンした。  
北側の休憩所からは斑鳩三塔が一望できる。

撮影・写真提供
撮影者:村山清
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺東2丁目