Monthly Archives: 2月 2021
No.0029_0012
竜田街道 - 西
結婚披露宴
法隆寺西大門の西側にあった「聖雲閣」で
古写真についての斑鳩町民の記憶
「聖雲閣」は、1953(昭和28)年に開店した料理旅館 [1]
その他メモ
[1]『斑鳩の生活史:聖徳太子から1400年』亀井龍彦著 斑鳩文化協議会(1998)p.188
No.0049_0002
斑鳩三塔の道
新郎新婦記念写真
1959(昭和34)年2月
新郎新婦
古写真についての斑鳩町民の記憶
町営結婚式場は旧北畠邸であった。
新生活運動の先駆けとして行政は運営委員会を組織し好評を得た。
20余年間町民に随分重宝された。[1]
その他メモ
[1]『斑鳩の生活史:聖徳太子から1400年』亀井龍彦著 斑鳩文化協議会(1998)p.205
式では「誓約書」を読んだ。巻物になっていて長い文章だった(1965年に結婚式を挙げた方の話)
三々九度の盃にお酒を注ぐのは、社会福祉法人「いかるが園」の子どもが担当していた。
No.0029_0020
竜田街道 - 西
披露宴
挨拶
古写真についての斑鳩町民の記憶
町営結婚式場で結婚式を挙げ、披露宴は当時人気があった「聖雲閣」で行った。
その他メモ
挨拶が長かった印象がある。
新婚旅行が終わると、次は親戚への挨拶回りに行った。和服で行くのが常識だった時代で、とても疲れた事を覚えている。(同時代に結婚した方の話)
No.0029_0018
太子学問の道
式場中庭にて
1964(昭和39)年2月
古写真についての斑鳩町民の記憶
1954(昭和29)年から1977(昭和52)年までの約20年間にわたり、町民に随分重宝された。
新生活運動の先駆けとして、行政は運営委員会を組織し好評を得た。 [1]
その他メモ
[1]『斑鳩の生活史:聖徳太子から1400年』亀井龍彦著 斑鳩文化協議会(1998)p.205
この年(1964年)は東京オリンピックが開催され、テレビの普及が一気に進んだ。
家庭用の冷蔵庫の普及率も進んでいた。
嫁入り道具は「竜田日進運送」のトラックで運んだ。ご近所の方々が荷物を見に出てきて見送ってくれた(川西町から斑鳩に嫁いだ方の話)
No.0049_0005
斑鳩三塔の道
花嫁の着付けをしていた大伯母
昭和38年
町営結婚式場前にて
古写真についての斑鳩町民の記憶
当時は自宅で花嫁の準備を整えてから式場に向かった。
おそらく、あちらこちらの家で着付けをしたのだろう。
その他メモ
割烹着
No.0029_0016
斑鳩三塔の道
町営結婚式場の庭にて
1964年(昭和39年)2月
古写真についての斑鳩町民の記憶
旧北畠男爵邸を町が無償借用し、昭和29年(1954年)10月町営結婚式場を開設した。
多い年は結婚式が80組ぐらいもあったという。[1]
建物は2階建てで広い庭があった。[2]
その他メモ
参考
[1]『斑鳩の生活史:聖徳太子から1400年』亀井龍彦著 斑鳩文化協議会(1998)P.205
[2]『斑鳩町史』史料編 P.95
No.0029_0014
竜田街道 - 西
新婦入場
披露宴会場に入場
古写真についての斑鳩町民の記憶
結婚式は町営結婚式場で挙げ、披露宴会場は「聖雲閣」だった。
「聖雲閣」は、1953(昭和28)年に開店した料理旅館 [1]
その他メモ
[1]『斑鳩の生活史:聖徳太子から1400年』亀井龍彦著 斑鳩文化協議会(1998)p.188
No.0029_0013
竜田街道 - 西
結婚披露宴
新郎入場
古写真についての斑鳩町民の記憶
町営結婚式場で結婚式を挙げ、披露宴は「聖雲閣」で行った。
「聖雲閣」は、1953(昭和28)年に開店した料理旅館 [1]
その他メモ
[1]『斑鳩の生活史:聖徳太子から1400年』亀井龍彦著 斑鳩文化協議会(1998)p.188
No.0049_0009
斑鳩三塔の道
結婚式場への道
1959(昭和34)年 2月
古写真についての斑鳩町民の記憶
自宅で支度を整えて式場へ。式場が近かったので歩いて行った。
ご近所の方々も見送ってくれた。
No.0049_0007
斑鳩三塔の道
花嫁の後ろ姿
1959(昭和34)年 2月 自宅にて
古写真についての斑鳩町民の記憶
町営結婚式場には貸衣装もあった。「広報いかるが」に度々利用を促す記事が掲載され、貸衣裳料金も明記されていた。
No.0029_0019
太子学問の道
お色直しの衣裳で
1964(昭和39)年2月
その他メモ
この頃(1964年)は、結婚式の当日に新婚旅行に出発した。行先は信州や伊豆辺りが多かった。
百貨店で誂えたスーツ(三つ揃い)と帽子を身に着けるのが定番だった。
No.0029_0015
竜田街道 - 西
結婚式場入り口で
1964(昭和39)年2月
古写真についての斑鳩町民の記憶
車(ハイヤー)から降りたところか
町営結婚式場は旧北畠邸であった。
その他メモ
1964(昭和39)年9月の「広報いかるが」に、ー結婚式は町営式場でーとの見出しとともに結婚式場料金明細書がある。(当時の挙式料は500円,式場は1500円)
No.0049_0001
斑鳩三塔の道
結婚式の集合写真
1959(昭和34)年2月
町営結婚式場内で撮影
古写真についての斑鳩町民の記憶
樋口町長(当時)は、旧北畠邸(当時井上別邸)を所有していた井上氏から無償借用して、1594(昭和29)年10月町営結婚式場を開設した。[1]
「高砂」は、オープンリールを使用していた。町の職員が担当していた。
その他メモ
[1]『斑鳩の生活史:聖徳太子から1400年』亀井龍彦著 斑鳩文化協議会(1998)p.205
No.0029_0017
斑鳩三塔の道
式場中庭にて
1964(昭和39)年2月
古写真についての斑鳩町民の記憶
町営結婚式場は旧北畠邸。当時の所有者から斑鳩町が無償で借りて運営していた。[1]
町の職員が運営していた。
現在の写真
2024(令和6)年1月 写真グループ「写遊 鵤」撮影
「長屋門」(一部が部屋になっている門)を改築し、2014(平成26)年に、カフェとしてオープンした。
その他メモ
[1]『斑鳩の生活史:聖徳太子から1400年』亀井龍彦著 斑鳩文化協議会(1998)p.205
No.0049_0014
斑鳩三塔の道
町営結婚式場に到着
1959(昭和34)年2月
古写真についての斑鳩町民の記憶
旧北畠邸だった町営結婚式場は、大きい長屋門を構えた屋敷で庭も広かった。[1]
その他メモ
[1]『斑鳩町史』史料編 p.95
No.0049_0013
斑鳩三塔の道
お色直しの衣装で
1959(昭和34)年2月
式場の玄関にて
古写真についての斑鳩町民の記憶
当時はお色直しでベールを付けた。
小物類は髪結いや着付けの仕事をしていた大叔母の持ち物だった。
その他メモ
NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「虎に翼」で、寅子の結婚式(1940年頃)の際、新婦がベールを付けていた。
No.0049_0012
斑鳩三塔の道
町営結婚式場の庭にて
1959(昭和34)年2月
古写真についての斑鳩町民の記憶
旧北畠邸だった町営結婚式場は、大きい長屋門を構えた屋敷で庭も広かった。[1]
その他メモ
[1]『斑鳩町史』史料編 p.95
No.0049_0011
斑鳩三塔の道
自宅の玄関を出る
1959(昭和34)年2月
古写真についての斑鳩町民の記憶
写真を見ると感慨深く感じるが、本人は朝早くからの準備に疲れ、特に覚えていない。(同時代に結婚式を挙げた方の話しより)
No.0049_0006
斑鳩三塔の道
式場への出発前
準備が整い、式場へ向かう前に自宅で
古写真についての斑鳩町民の記憶
この頃(昭和34年)は自宅で花嫁の準備を整え式場に向かった。
No.0049_0003