Monthly Archives: 1月 2014

No.0001_0057

竜田街道 - 東

下校

斑鳩小学校からの帰り道

古写真についての斑鳩町民の記憶

当時二階建ての家は珍しかった。並松商店街は何でも揃っていて便利だった。

現在の写真

2014年撮影 

その他メモ

古写真:並松商店街。西日を浴びて下校している。写真の奥が斑鳩小学校。

撮影・写真提供
撮影者:市村善夫
提供者:市村善夫
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺南1丁目6 (並松商店街の東側から西に向かって撮影)

No.0002_0014

興留道

朝の待ち合わせ

旧国鉄法隆寺駅前に集まる小学生の集団登校
1960(昭和35)年10月

古写真についての斑鳩町民の記憶

斑鳩小学校への集団登校の集合場所だった。現在はバス乗り場になっている。「歓迎」のアーチがあった。
駅前といえども舗装されておらず、雨が降るとぬかるんでいた。

現在の写真

2019年撮影

ロータリーの整備に伴い、バスやタクシー乗り場も整備された。

その他メモ

古写真:吉田亀吉石碑、タクシーの看板

撮影・写真提供
撮影者:小城一郎
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
興留9丁目 法隆寺駅南口広場

No.0002_0013

興留道

集団登校の待ち合わせ

斑鳩小学校への集団登校
1960(昭和35)年10月

古写真についての斑鳩町民の記憶

集団登校の集合場所。現在はバス乗り場になっている。「歓迎」アーチがあった。

その他メモ

吉田亀吉の銘が入った石碑は今でもあるが、地面に埋め込まれこの写真のように土台部分が高くない。
自転車屋の看板。

撮影・写真提供
撮影者:小城一郎
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
興留9丁目 法隆寺駅南口広場(現バス乗り場)

No.0002_0016

服部道

通学

斑鳩小学校へ通学する児童
1960(昭和35)年10月

古写真についての斑鳩町民の記憶

今では両側に住宅や商店が立っているが当時は田んぼで地道だった

撮影・写真提供
撮影者:小城一郎
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
興留4丁目(平田歯科の前辺り)

No.0002_0018

イツボ川道

集団登校

斑鳩小学校への通学 奥に五百井のニシキ醤油の煙突が見える
1960(昭和35)年10月

古写真についての斑鳩町民の記憶

昭和35年頃私は中学2年生、斑鳩小学校に制服ができたのは私が卒業してしばらく(2年位)してからのようだ。当時は大方醤油屋さんの煙突がこんなにもそびえていた。

現在の写真

2016年撮影

道路とイツボ川を挟んで両側に住宅が立ち並んでいる。
写真右(東)側にあった池も埋め立てられ宅地になった。

撮影・写真提供
撮影者:小城一郎
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺南1丁目(北から南に向かって)

No.0002_0019

イツボ川道

集団登校

斑鳩小学校へ通学
1960(昭和35)年10月

古写真についての斑鳩町民の記憶

当時は左側は田んぼ、右側は池だった。後方の煙突には「ヤマトニシキ」の文字が見える。

その他メモ

今ではこの道の両側に住宅が建っている。
昭和35年頃私は中学2年生、斑鳩小学校に制服ができたのは私が卒業してしばらく(2年位)してからのようだ。当時は大方醤油屋さんの煙突がこんなにもそびえていた。

撮影・写真提供
撮影者:小城一郎
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺南1丁目(南に向かって)

No.0002_0015

興留道

斑鳩小学校へ通学する児童

1960(昭和35)年10月

古写真についての斑鳩町民の記憶

JR法隆寺駅北側は現在車輌は一方通行になっているが当時は歩行のみだった

撮影・写真提供
撮影者:小城一郎
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
興留7丁目(駅の北側)

No.0002_0017

イツボ川道

斑鳩小学校へ通学する児童

斑鳩小学校へ、集団登校で通学する児童たち
1960(昭和35)年10月

古写真についての斑鳩町民の記憶

両側は田んぼで地道だった

撮影・写真提供
撮影者:小城一郎
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
興留1丁目辺り 

No.0007_0020

服部道

跨線橋工事 その2

建設中の現JR跨線橋
1968(昭和43)年

古写真についての斑鳩町民の記憶

昭和44年(1969年)も跨線橋工事は継続中だった。
高速道路ができたことを契機に引かれた道なので将来の記録に残そうと思って撮影した。

その他メモ

街燈、作業員、左官屋、コテ

撮影・写真提供
撮影者:川西和文
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
興留6丁目辺り(現大和高田斑鳩線建設工事中の跨線橋)

No.0001_0040

斑鳩三塔の道

聖雲閣前の道

聖雲閣の看板が見える
1961(昭和36)年1月

古写真についての斑鳩町民の記憶

聖雲閣は料理旅館で天ぷらが専門だった。

聖雲閣の離れ(「べったしき」とよばれていた)でお見合いをした。
料亭なので食器も季節によって違い贅沢だった。

離れの床下は広く、農作物(ジャガイモ,サツマイモ)などの保存していた。籾殻(もみがら)がたくさんあった。

現在の写真

2024(令和6)年2月撮影
2004年頃に駐車場になった。

撮影・写真提供
撮影者:市村善夫
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺西1丁目(東から西に向かって)

No.0007_0006

斑鳩三塔の道

「肥たご」を運ぶ農夫

松並木が残る天満の馬場
1957(昭和32)年

古写真についての斑鳩町民の記憶

忌中のときの初詣は、鳥居をくぐらず外を通ってお参りした。

現在の写真

2016年撮影

鳥居は1970年代頃に斑鳩神社の階段下に移転されている。写真奥の右側に公園が整備され、松尾寺参りの方々の待ち合わせ場所としても活用されている。

その他メモ

古写真:松尾寺参りの道の途中にある鳥居

撮影・写真提供
撮影者:川西和文
撮影時期
1950年代頃
撮影場所
法隆寺北1丁目(天満池から南に向かって)

No.0003_0002

太子学問の道

成福寺境内での相撲

成福寺での子ども相撲。女の子が行司役をつとめている。
1942(昭和17)年

古写真についての斑鳩町民の記憶

成福寺は、現在の上宮遺跡公園(法隆寺南3丁目)の南にあった。

その他メモ

成福寺本堂

撮影・写真提供
提供者:髙永周子
撮影時期
1940年代頃
撮影場所
法隆寺南3丁目 成福寺本堂前

No.0001_0058

斑鳩三塔の道

道標

法隆寺近くの道標
1962(昭和37)年

古写真についての斑鳩町民の記憶

戦後この商店へよく菓子を買いに行った。今では懐かしい自動販売機。

その他メモ

斑鳩町内と奈良県内各地への道標

タグ

商店 町なみ

撮影・写真提供
撮影者:市村善夫
撮影時期
1960年代頃
撮影場所
法隆寺2丁目(本町)、八百市商店の前の道

No.0002_0007

斑鳩三塔の道

法輪寺境内で遊ぶ子ども

1959(昭和34)年2月

撮影・写真提供
撮影者:小城一郎
撮影時期
1950年代頃
撮影場所
三井(法輪寺)