No.5000_0001
『広報いかるが』1997(平成9)年1月号 掲載記事「50年の足跡」より
撮影年不明
法起寺までの道を松の馬場と呼んだ。
成福寺は、現在の上宮遺跡公園(法隆寺南3丁目)の南にあった。
1960年頃までは、松の落ち葉「コクマ」をお風呂の焚き付けにした。
子どもたちは松の木に登って遊んだり、見張り台にしたりしていた。
太子が葦垣宮から岡本宮へ学問に通われた一本道の両側には松並木があり「松ノ馬場」と呼ばれた。現在、幸前旧村の中央を南北に通っているのが、古代の道であると伝える。[1]
葦垣宮跡に嘉祥2(849)年に建てられた寺院を成福寺といい、聖徳太子が没した地という。[2]
松並木は、成福寺から北へ伸びていた。[3]
[1]『斑鳩の生活史:聖徳太子から1400年』亀井龍彦著 斑鳩文化協議会(1998)P.227
[2]『法隆寺辞典』髙田良信著 柳原出版(2007)P.306参考
[3]「傳説の太子道に就いて」久留春年著P.103参考(『夢殿』第九冊 佐伯啓造編 鵤故郷舍(1933)所収)